Koffee Chipu

Life is not how great the end will be, it's how you treasure them and live in their deepest heart.

”目的のある人生は、あなたのすぐそばに”

あなたは今でも自分自身の人生に目的を持って生きていますか?”

f:id:kn19791126:20120402110052j:plain

第二の人生のスタート》
 昨年、私は自分の人生を捨てようとしました。自分が積みあげてきた積み木が瞬く間に崩れ落ち、仕事しか生きがいのなかった私には何一つとして生きる価値がないと。そして、頭をよぎったのは、誰も私のことを知らない海外で暮らそうと。それは、私が若い時に持っていた本当に小さな夢でした。
 でも実際のところ、そんなドラマチックなものではなく、ただただ人生から逃げたかった、その選択がこの道であっただけで。決して日本に戻らないと自分自身に強く誓って。今までお世話になったできる限りのすべての人々に会い、お礼を言って回りました。好きだった車、電化製品、お金に変えることのできる物をすべて売り、それでも足りないので、6ヶ月間、パートタイムの肉体労働をして資金を貯めました。たぶん自分自身に帰る場所を無くそうとしていたのかもしれません。知人のアドバイスで最初の国をフィリピンのCebu島に決定し、昨年の夏に日本を旅立ちました。
 Cebu行きの飛行機の中、自分自身に決意を語りかけました”日本に残してきたものは何一つない、誰にも頼らず生きて行こう絶対に”。その時、あることに気付いてしまいました。そう、感謝のために多くの知人を訪れたのではなく、自分自身の存在をただ彼らに確認したかった、”俺の人生は無駄じゃなかったよね、あなたと共に過ごした思い出は今もそこにあるよね?俺って一人じゃなかったよね”って。その瞬間、自分の感情を止めることができず、泣きました。その涙は、ただ自分の情けなさに。その瞬間が私の第二の人生のスタートでした。

ブログの動機
 人生を例えるなら一つの夢の中での短い出来事のようなものなのかもしれません。とてもシンプル。誕生そしていつか訪れる死。それはとても儚くも短い時間です。Negativeな話ですが現実として変えることの決して出来ない事実です。私は現在、32歳です。たかがこの短い人生で偉そうなことを言うつもりは決してありません。ただ私のちょっとした私の人生であった出来事を、そして感じたことを書いている次第です。それにこういった長い文章を書くのは私の人生の中でこれが初めてで、とても達筆な文章だとも思っていません。ただほんの少しでも、この文章が皆さんの人生において何か良い糸口を見つけるキッカケになれば、私の幸せだと考えています。

《私の歴史》
大したものではありません、ただそこには忘れることのできない知人から頂いた言葉が。小学、中学と特にこれと言った誇れるものもないごくごく普通の子供でした。今も変わりませんが。笑 私の初めのターニングポイントは中学生二年の時です。ある時、ルームメイトがいじめにあっているのを目撃し私は、迷わず彼を助けました。そして次の日、学校に行くとクラスの誰もが私を無視しました。理由はそのイジメっ子がクラス全員に指示し、もし私と喋ったら殴ると。もちろん私はとても孤独でした。お昼休憩を終えたその時、あるクラスメイトが私のところへ歩み寄り、彼はこう言いました、”俺殴られてもいいから、お前と話したいよ、だって友達だからさ”って。その時から私の中で何かが変わり始めた最初の出来事だったのかもしれません。 

f:id:kn19791126:20111113021203j:plain

その後、ごく普通の新学校に入学そして野球部に加入しました。しかしその高校生活で私は、目的を見いだせず高校二年の時中退、正確に言えば2回の停学からの退学です。最初の停学は私の友達がイジメを受け、その仕返しを私が。私の良い面は悪い面でもあります。それより問題だったのは、私は、仕返しをする相手を間違えたことです。そう赤の他人に仕返しをしてしまったのです。もちろんその後、校長先生にしっかりと怒られました。笑 2つ目はと言うと、昼休憩中にタバコを吸うポイントを見つけ、よくそこでタバコを吸っていました。そこには知らないの生徒が約6人、メンバーはだいたいいつも同じ。ただ黙々とタバコを吸い、会話はほとんど無し。ある日その状況がバレてしまい、生徒指導室に呼ばれ、個々に事情聴衆を受けました。私の状況はと言うと、もう一度停学を受ければ、即刻退学に。それを知っていてくれたのか、他の5名の名前すら知らない人たちが、”彼はタバコを吸っていなかった”と私をかばってくれたのです。彼らにも将来はあります、大学が決まっている人もその中にはいました。その彼らの行動に心を打たれ私は、ある決断をしました。”彼らは一切関係ない、私だけ吸っていた、だから罰は私だけで”と言い放ち、私は自主退学をしました。
その二年間私は、良くない行いをたくさんしました、ただ自分の心を傷つける為だけに。ただ私には幸せであり、誇りに思えることもあります。それは親友と呼べる友達がいつも私の周りに、そしてお互いの痛みを癒し逢える相手が。時には血の噴き出る本気の殴り合いの喧嘩でしかお互いの気持ちを表現できない時も、でもその後なぜか何も言葉を交わし合っていないのに、私たちはすでにお互い分かりあえてしまう。そしてよりよい友達関係がそこにはありました。真夏の時期はよくバスケをみんなでその後、真っ裸で勝手に中学校に忍び込み、プールでお互いの夢を語り合い、時には警察に見つかり、真っ裸で走って逃げたことも。それが正しかった青春時代とは思いませんが、私達には最高の時間でした。
 その後、派遣会社で1年間仕事をしました。その当日私は、15歳。その当時の辛くハングリー精神が今生きていると強く感じます。お金がなく、ワンルームに2人、ベットもテレビはもっての他何もなく、ただ家から持ってきた寝袋でいつも寝ていました。仕事終わりに、自販機コーナーの下の小銭を集め100円のレトルトカレーを買い、近所に住んでいる知人が、ご飯を分けてくれました。しかしながら、茶碗もスプーンも買うことができず、牛乳パックを切って、それをスプーン代わりにして食べました。その当時の最高の時間は通常よりも10円高い、110円の辛口カレーを買って食べたあの夕食です。でも不思議なもので、そのカレーが今でも忘れることができない最高の食事です。いつかそのご飯を分けてくれた彼にお礼をしなくてはと今でも強く願っています。 

f:id:kn19791126:20110827172018j:plain

 仕事も15才の私にはとても辛く、年齢も会社からの命令で20歳と偽って。たまにどうしても仕事に行きたくなくサボって部屋にいると、刺青の入ったプロレスラーみたいな大柄の幹部の人が怒鳴ってベランダのドアから入って来ました。そこは6階だったんですけどねその時は、本当に殺されるかと思いました。両親には所在地を知らせずに飛び出したのに、何時だっただろう、玄関の前にたくさんの食材と、暖かそうなダウンジャケットそして、体には気をつけてと書いた手紙が。今でもあの時の感謝は忘れません。
 それから一年後、絶対に後悔しないと誓って辞めた高校なのに、その重大さに気付き、やり直したいと考える私と、でもそれを認めたら負けだといい聞かす2人の私が。そんな時、私の同い年の知人が私にアドバイスを”人生幾度と無く2つに別れた道からあり、そのどちらかを選択しなきゃいけない時がくる。そしてそのいずれの道を選んでも後悔はついてくる。そうどちらを選んでも!だから自分自身で選び後悔しろよな、そしてそれを10年後、20年後に正しかった道にお前自身で変ればいいんだよ”その言葉は今でも忘れることのでいない言葉です。
 そして、私は、夜間の高校に通い始めました。その学校での出会い、経験はとても素晴らしいものでした。授業、体育大会、プールと当たり前ですが夜です。若い時に結婚し、その当時の47歳。でも希望に満ちていて、今から保母さんの資格を取って保母さんになりたいと語るお母さん、両親を早くになくしすべて自立して通う好青年、いじめにあってもう一度立ち上がろうとしている青年、小さい頃の両親の虐待よる精神病で自分を傷つけることでしか幸福を得られない少女、ここで自分の甘さを強く認識できました。そして運良く、大学も卒業式し。全てはこんな私を支えてくれた家族、友達、そしてあの彼の言葉から成せた私の道だと。

f:id:kn19791126:20111128235825j:plain

《Cebu島

今現在もCebu島に住んで10ヶ月になります。とてもシンプルで充実した日々を過ごしています。ここでの生活でも語りきれないほどの多くの出会い、経験から、自分の人生に夢をもう一度持つことができました。人生は何の為に生き、何のために死ぬのか。このテーマには答えはありません。人生の中で、すべての人がありとあらゆる欲望を持っています。社会的地位、金銭欲、物欲、私も含め、それらを人生から拭い去れません。でもいつか訪れる死後、それらは何一つ持っていけないのです。私の人生は過去を振り返っても誇れるような事や道を歩んできたとは思いません。いつも遠回りで、失敗、後悔の繰り返し。現在、お金も社会的地位も何もありません。今でも私は自分自身に”おまえは本当正しいのか道を進んでいるのか”って話しかける日々が続いています。でもいつも私の人生には多くの大切な人がそばにいてそして共に。あの若かった時の味わったカレーライス、多くの親友と過ごした時間は何者にも変えることができません。
《私の考え

 人生は、人の記憶に大きい小さいは関係なく感動を与えられることができるか。それが目的であると私は考えます。”人生は、本当に本当に短い、そして自分の去る日を予想することもできない。だからこそ今そこに大切な人がいるならその人の為に生きてください精一杯。そして、共に笑い。人生はどう終わるのではなく、どう生きたかです。そしてその人の記憶に残る人であってください。”これはもしかしたら、私自身に書いたのかもしれません。
《今後》
これからブログを通して、私のCebu島での体験談や英語の勉強法をお伝え出来ればと思っています。特に英語学習面では、私自身”How are you?”の意味すら忘れていたところからのスタートなので初心者で今一歩踏み出せない方の踏み出すキッカケになればと思っています。 

f:id:koffeechipu:20110909204029j:plain 

関連記事 ”夢に値札を”

クリックプリーズ~^^